通過者の視線

この週末に森山大道の講演に参加するという僥倖に恵まれるから、というわけでもないのですが、このところ続けて、森山さんの写真をみたり文章を読んだりすることが重なる。その文章なのだけれど、こんなに良い書き手であることを全く知らずにいた。これだけ、書いたものが文字になっているということは、支持されているということなのだろうけれど。これもまた、最近思う、知らぬは私ばかりなりの一例だということなのだなぁと知る。
私にとっての森山大道はやはり「犬」で、それからアレ、ボケ、ブレ、プロヴォークの一員なのだが、最初にくるのは中平卓馬なのだった。その中平卓馬は学生の頃、大学にちらほら来られていて、部活員の一人の学生と懇意にされていたこと、希代の論客の中平さんをその学生は論破したという噂があり、さもありなんとみんな、なんとなく納得してししまったこと、その後しばらくして、中平さんは表舞台から距離を置かれたような気がしていたことなどが思い出される。
写真は、私にとって、大人への入り口だったのだなぁ。。。。
また写真に惹かれる時が来ることを考えもしなかった事だったのに、今、再び出会っている不思議。

通過者の視線

通過者の視線