さよならチャーリー

と言っても映画のことではないのだけど。

 つい数日前に、何十年も続いた自転車生活に別れを告げる事になった。
今の愛車を、出町柳のあたりで信号待ちしている時に、ふらりと自転車が揺れて、少しの傾きなのに態勢を立て直せなくて、おまけに、次が踏み出せない。
何より、転倒の怖さを感じた。やっとのことで、車の少ないところを通り家までは帰ったのだけど、倒れたわけでもないのに、そのあとの脚力のなさ、腕の力の少なさに驚いて、ゾッとする。
 即座に、もっと乗りやすい(と思った)軽い、タイヤのサイズの小さなママチャリに変えようと思った。その時は、探せばいいのだと、愛車への配慮もなく考えた。それが大きな間違い。試しに乗せてもらったが、怖さも身体の芯に残っていて乗り出す前から震える。初めて乗る人のように。それでも、あんなに乗っていたのだから、私は普通に乗れるのだから、と、漕ぎ出すが、一足目は行ける、ただ次のペダルに足がかからない。持ち上げられないのだ。何とか進みだしても、安定しない。右と左のバランスが悪い。瞬間で、もう自転車は無理だと感じた。
 あっけない。。。でも、からだも頭もそういっている。
 試乗車を、頼んでいた自転車屋さんには、事情を言って、取り下げてもらった。理解してくださり、立ち話が始まる。いろいろ代案も考えてくださるが、終わりが確定する。自転車やさんは、乗られる日を待ってますと言ってくださる。そういえば、このお店で、今の愛車をいただいたのだ。これも大きなシンクロニシティ
 そして、遠出は無かったけれど、生活に食い込んでいた自転車。何十年もともにいた愛車との別れが、襲ってくる。愛車のこと考えず、さっさと次のママチャリの事を考えた自分の事も気づかされる。まるで、世界中の人が自転車と伴に生活しているのに、自分だけが、そのサークルからはじき出されたように考えていた。違うのだね。あくまでも私に起こったことで。。。今は、愛車にありがとうを言いながら、始まるてくてく生活がどんなものになるのかに思いをはせる。
たまには、愛車を曳きながら散歩をしよう。そして、自分のからだの事、ちゃんと受け止めよう。
 生活って、否応なく簡単に変わることがあるのだぁ。。。。
 できないことをできるようになることばかりを考えてきたが、できていたことが突然、できなくなることも知る。そうか〜〜
 新しいてくてくライフが続きますように。