本 どうで死ぬ身の一踊り

どうで死ぬ身の一踊り

どうで死ぬ身の一踊り

いつも行く近所の図書館が二つあって、小さい方の図書館の窓口には時々、先生を退職されたらしい初老の方がおられる。先日は久しぶりにその方がおられた。そして、たまに、本棚にある面白い本を紹介してくださる。その日も、カウンターから出て、いくつかの本を取り上げてくださった。その中の一つがこれだった。芥川賞の候補になった作品ということで、もう一冊と並んでの紹介だった。もうその日に借りる本は決めていたのだけれど、どちらかを借りたくなってしまった。「どちらが面白いでしょう。」「いえ、もう、決めておられるのだから次の機会にでも。」「読みたくなったので・・・」「そうですねぇ。こちらでしょうか。」「DV、ドメスティックバイオレンスの本なんです。。。」と、こころなしか小さい声で付け加えられた。その方の口からDVという言葉がどこか恥ずかしげに出てきたことが不釣合いで、かつ微笑ましく、それだけであたたかな気持ちになってしまった。

肝心の本はやはりDVが描かれてもいた。藤澤清造という石川県七尾に明治に生まれた、無頼で不遇の小説家に心酔する現代に生きる男の物語である。男は作者であるらしい、私小説。同棲相手の親から借金をしたり、怒りにまかせて手を出しながら泣いて謝る修羅場を繰り返す、間違ったプライドだけは削れない哀しい腹立たしい男である。ふと、町田康の書く物語が浮かんだが、この本には、町田の手にあるユーモアも救いも感じられなかった。それでも、途中では置かせない魅力(?)がある。きっと上手い人なのだと思う。賞を争う小説なのだと思う。でも、読み方が違うかもしれないけれど、女の自分は、こういうのは嫌だなと思った。